横山 佳子 院長の独自取材記事

田尻下歯科医院
(大和市/つきみ野駅)

最終更新日:2022/12/27

珍しい院名が印象的な「田尻下(たじりか)歯科医院」は、東急田園都市線つきみの駅が開業した直後の1979年、閑静な住宅地の中に開院した。現在は、2代目にあたる横山佳子院長が診療している。「恐がりな私でも安心して治療を受けられる環境」をめざし、常に患者目線を忘れずに診療を行う一方で、父親が築いてきた信頼を維持する難しさもあると話す。講習会などを通じた「生涯学習」に努め、患者に提供できる治療レベルが落ちないことを心がけているという横山先生に、歯科治療にかける思いと今後の展望について話を聞いた。

(取材日2014年5月28日)

この街とともに40年、世代を支えてきた街の歯科医院

「田尻下」とは、ずいぶん珍しい院名ですね。

私の旧姓なのですが、父親が1979年に開院して以来、ずっと使用しています。父親は岐阜県出身と聞いていますが、特別な由来があるのかどうかは不明です。困ることといえば、ハンコがなかなか売っていないことかな。しかし話の糸口になったり、覚えてもらいやすいのでメリットの方が多いかも。結婚して名字が横山に変わったのですが、昔から親しんでくださっている患者さんも多いので、今のところ「横山歯科医院」にしようとは考えていません。そういえば、よく「田尻さん」と名前を間違って途中で区切って呼ばれることも多いですね。

開院から40年、今まで苦労した点はありますか?

何を守り、何を変えていくべきかは、いつも考えています。つきみ野駅の開業が1976年ですから、この街の発展とともに、地域の皆さまに育てていただいたのが当院。30年以上通われている患者さんも少なくありません。そうなると、父親が手がけた補綴物が、そろそろ合わなくなってきているケースも見受けられますが、父の仕事を私の手でレベルダウンさせるわけにはいきません。父は補綴科出身で、その技術レベルの高さにはいつも感心させられています。父の患者さんを受け継ぐプレッシャーは常に感じている一方で、治療技術は日々進歩していますから、昔のやり方を守ればいいというものでもないのです。このバランスが難しいですね。

先生が医院を手伝うことになったきっかけは何だったのでしょう?

ある日、父親がスキーをしていてケガをしてしまったのです。翌日には予約の患者さんがいましたから、私が急きょ手伝いました。そして、そのまま田尻下歯科医院に勤務し続けることになりました。そのとき痛感したのは、「医師に万が一のことが起こると、患者さんやスタッフに多大な迷惑をかける」ということ。ですから、私がいなくても機能できるような歯科医院にしたいと、信頼のおける代診の先生を迎え、診療日も週6日に増やしました。また、デジタルレントゲンやCT、マイクロスコープを導入したり、毎年何か1つずつ設備を充実させています。おかげさまで、患者さんの数は2倍程度まで増えたのではないでしょうか。逆に残しているところといえば、院内に飾る絵や写真ですね。父親の趣味なのですが、定期的に模様替えをして、季節感を出すようにしています。患者さんとの一種のコミュニケーションツールになっています。


築いてきた信頼を失いたくないから、勉強の毎日

歯科医師をめざそうと思ったのは、いつ頃なのでしょう?

小さな頃から、常に意識していました。両親や祖父も歯科医師でしたし、私は長女なので、常に周りから「将来は歯医者さんになるの?」と聞かれていましたしね。一方両親は、積極的に「継いでくれ」とは言っていませんでした。歯科医院はコンビニより多いといわれていますから、これからの時代、逆に苦労するのではと心配していたのでしょう。しかし最終的には、小さな頃から自然と思い描いていたこの道を選ぶことにしました。

進学先は、四国の徳島大学だそうですね。

当時、母親が尊敬していた教授が在籍していらっしゃったので、親としても安心できたのではないでしょうか。私は、独り暮らしへの憧れがあったので、不安はありませんでしたね。大学時代はテニス部に所属して、楽しい青春を送っていました。徳島といえば鳴門の渦潮が有名ですが、個人的には、高知県との県境にある「かずら橋」の雰囲気が大好きです。香川県に行けばおいしいうどんも食べられますし、いい思い出ばかりです。

大学卒業後は、東京医科歯科大学の大学院に進んだのですね。

きっかけは、当時の東京医科歯科大学附属病院(現・東京医科歯科大学病院)のインプラント科の教授です。生徒一人ひとりにテーマを与え研究を進めるのですが、その人柄に魅せられてしまい、「あの先生の下で働きたい」と思うようになりました。インプラントの技術というよりも、研究に対する姿勢や歯科医師観にとても惹かれました。そこで、先生がいらっしゃった東京医科歯科大学大学院へ進学しました。大学院時代は週に2日ほど、歯科医院で診療をしていたのですが、そこでもいろいろなことを学びました。先生方の常に勉強をし続けるその熱心な態度に感銘を覚え、歯科医師にゴールはないんだなと、講習会などへ通うようになりました。今は母として、育児と両立するため、勉強の時間は限られています。そこで、「量」の不足を「質」でカバーしようと、日々努力を続けています。

誰でも安心して治療を受けられるかかりつけ医をめざす

現在、力を入れているのは、大学院で学んだインプラントなのでしょうか?

必ずしもそういうわけではありません。専門性のある大学病院と異なり、街のクリニックは「オールラウンダー」が求められると思っています。ですから、インプラントは、入れ歯やブリッジとともに「患者さんが選ぶ選択肢の一つ」です。それぞれの治療方法について、そのメリットやデメリットをご説明した上で、それでもインプラントを希望されるのであれば、自信を持って施術します。しかし、まずはどうしたら自然歯を残せるかが大切だと考えています。ほか、虫歯や歯周病治療はもちろん、メタルフリーやホワイトニングなど、どのようなご要望にも応えられるような歯科医院でありたいと思っています。

あえて特徴を挙げるとしたら、何になりますか?

「患者さんの立場になって考えられる歯科医院」でしょうか。私自身怖がりなので、自分が治療を受けるとしたら何がベストなのかを想定し、環境を整えています。また、自分に自信がないと、その不安が患者さんにも伝わります。ですから、講習会などへ積極的に参加して、常にレベルアップを心がけています。治療方法の説明にしても、急に言われたらショックを感じる方がいらっしゃるでしょう。説明しないのは論外ですが、言い方一つで、印象がまるで変わることがあります。また、受付にある小さな棚は、患者さんから「お財布を出すときに、台のようなものがあると便利」と指摘されて取り付けました。医院入り口にある手すりも、要望を受けて設置しました。こうした患者さんの視点は、忘れてしまいがちなので、どのようなことでも気軽におっしゃっていただける信頼関係を大切にしたいと思います。

最後に、今後の展望を伺わせてください。

昔からお付き合いいただいている地域の信頼を損ねないこと。また最近は、昔からの患者さんが身体的な理由で、来院しづらくなっているため、訪問診療も行っています。あとは、繰り返しになりますが、私自身の「生涯学習」。成長しようという気概がなくなると、歯科医師としてのレベルは止まってしまいますから。そして私自身も子を持つ母なので、そういった目線での気遣いを心がけています。クリニックとしては、機械や道具の進化に伴い、高い精度で侵襲の少ない治療ができるようになってきています。今後はCTやマイクロスコープを活用し、より良い治療を提供できる医院にしていきたいです。父と同様に、10年・20年という単位で患者さんと向き合えるホームドクターをめざします。以前より患者数が増え、予約がとりずらいこともあり、ご迷惑をかけてしまうこともあるかと思いますが、何か困った事があればお気軽にお訪ね下さい。